早いもので、私がフリーランスウエディングプランナーのサポートを始めてから10年以上が経った。この10年以上の歳月は時代を大きく変遷させ、一方では、会場(ホテルや結婚式場)やフリーランスウエディングプランナーの状況も大きく変化させた。
スタート当初のフリーランスウエディングプランナーと言ったら、今思い出しても、情けないほど知名度もほとんどゼロで、特にホテルなどに行って話をしても、鼻にもかけてもらえない時代であった。私の知人の中には、「日本のウエディングはさ、装置産業なんだから、フリーランスウエディングプランナーなんて入る余地なんかあるわけないじゃん」とか、「欧米かぶれしていて、感覚がずれてるんじゃない。」などとなかば嘲笑すらされた。
2011年は、3.11の東日本大震災の年であったが、私は個人的にフリーランス元年と呼んでいる。3.11の震災は、人の心を大きく動かし、一時的だったとしても結婚式に大きな影響を与えた。さらに、フリーランスの認知度を高めたのは、翌年2012年のスマホの飛躍的な普及率の高さで、このことがビジネスの流れを大きく変えた。個人がビジネスをするにも、やはり宣伝広告が必要であったが、スマホの普及により、やり方によっては全国規模の広告が無料で出来るようになり、CtoCビジネスが実現したのである。
このことが、従来陽の目を見ることがなかったフリーランスウエディングプランナーのビジネスが拡大できた大きな要因になったのである。とはいっても、日本の装置産業としてのブライダルのビジネススタイルが大きく変化することはなかったが、従来の個人事業主では実現できなかったような成功を収めるプランナーも出てきた。
しかし、このような状況もそう長くは続かない。それは、時代背景、デフレ経済の長期化の産物ともいえる低所得者層の拡大であった。バブル期には1億2千万人、総中産階級と言われた日本では考えられないほどの低迷であった。
同時に、ブライダル市場を牽引する形で、雑誌や会場カテゴリによって、経済低迷のデフレ化でも高単価を目指した。詐欺まがいの販促と虚構が、結婚式を行いたい人たちの気持ちを失望感にまで誘導した結果、2005年の時点で既に日本の婚姻組数の実質60%弱のカップルしか挙式・披露宴を行っていないという残念な状態であった。
ところが、ここのところに来て、虚構に近い会社などの淘汰が行われ、異業種のブライダル参入も大きく手伝い、そんなに費用を掛けずとも披露宴が実現できるようなプランも多くなり、体感的には少しずつではあるが披露宴の実施率が上がっているような気がする。
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