検定が出来るまでの30年Vol.5
なぜか、新入社員の中でもなぜか私一人が忙しい。10時に出勤して、まず行うことは当日のお客様の予約状況の確認とセッティング、テーブル上のグラスの丹念な拭き上げと、テーブルのセッティングのチェックである。それが終わるとなぜか全社員の昼食のセッティングである。調理部門とサービス部門の役30名弱の昼食の準備だ。ご飯、みそ汁、主菜、漬物、お茶の準備だ。なぜ私がやらなければならないのか?毎日疑問に思っていたが、そんなことを考えている暇があったら、手を動かしたほうが楽だった。全員一斉に「いただきます」と言ってから私も食べるが、全員が食べ終わるのを待って、私が洗い場まで使用済みの食器を片付けるのだ。だから、3~4分で食事を済ませないと間に合わない。私の実家は鉄工場を営んでおり、職人集団なので食事はめっぽう早かった。その習慣が身についていてもやはり相当な勢いで食べないと間に合わなかった。最初のころは先輩から、「谷藤、そんなに口の中で噛んでいたら、口の中でうんこになっちゃうぞ」と言われた。その意味は、食べ物は、噛まずに丸飲みしろというのとほぼ等しかった。ほかに新入社員がそれも私より自分より6歳も年下の同期がいるのに、なぜ私だけがこんなことやらされるのか。こんな理不尽なことが毎日続いた。というよりすべてのことが理不尽で、まともなことは一つもない。その都度、明日はあいつをぶん殴って辞めてやると1日に何度も思っていた。毎日が刺激的でかつ衝撃の連続だった。
昼食の後、片付けを早々に片付けないと、ランチスタート前のブリーフィングに出られない。このブリーフィングは、主に本日のメニュー説明だが、素材や作り方の説明であった。ほとんどすべてフランス語での説明だったので、最初のころは、何を言っているのか全く理解できなかった。そのうち、昼休みと言ってもアイドリングタイムであるが、フランス語の先生がきてフランス語の勉強を強制的にさせられた。おかげで、ブリーフィングの説明がやっと理解できるようになった。
このころになると、理不尽なことは以前と変わらず毎日続いたが、いろいろと知識が備わってきて、先輩の言うことや物事が徐々に理解できるようになってきて、少し精神的に楽になり若干ではあるが楽しくなってきた。
ランチタイムは、毎日激戦で汗が下着で収まらずユニフォームまで染み出てくるほどの忙しさであった。その日も大忙しで、アイドリングの休憩時間も途中で切り上げ仕事を始めた。ディナーのスタンバイをしているときに、支配人から「谷藤、あれもってこい」と言われ、「すみませんが、あれって何ですか?」と質問したら、こっぴどく怒られてしまった。支配人曰く、「お前な、アレがわからなくて仕事ができると思っているのか、俺の目を見たら、何を言おうとしているのか理解できなければ、いつまでたっても今のままだぞ」と言われた。当時の私には衝撃的な発言で、言葉で言わずして目を見て理解しろなど言語道断だと思った。しかし、後で分かったことだったが、それが真の職人の世界では常識だった。
そしてまた、この言語道断だと思った言葉も、非常に重要な意味を持っていることに気づかされた。
ある日、私はゴム手袋をつけて便所掃除をしていたら、いきなり先輩が入ってきて、「おめぇ、なにゴム手袋なんかつけて便所掃除してんだよぉ。素手でやれ、素手で。」と怒鳴られ後ろから思い切り蹴飛ばされた。私は、こんな毎日に胃は痛くなるし、毎日、明日はあいつとあいつをぶん殴って辞めようと考えていた。朝起きても、会社に行く気が起きない。というかむしろ行きたくない。しかし、私はそんなくだらないやつら(のちに仲のよい友人になるが)に負けたくないという一心でとりあえず電車に乗る。当時小田急線から代々木上原で千代田線に乗り換え大手町で下車したが、大手町に近づくにつれ、胃が痛みだす。原因はわかっているので、とにかく地下通路を会社まで歩くが、最初は、足が会社の方向に向かない。家に戻りたくなってしまうのだ。どうしたら足が前に進むのか考えた結果、1から100までフランス語で数えながら一歩一歩足を前に進めた。
実は、このレストランでは、英語圏のお客様が多いので、メニューはすべて英語で書かれているが、調理場にオーダーするときはフランス語で書いたり言ったりしなければならない。なので、とりあえずフランス語で数字を数えられるようになることが必要だったのだ。フランス語は数え方も難しい。フランス語の先生も研修できて何度かフランス語のレッスンも受けたが、最初はちんぷんかんぷんだった。大学は、第二外国語が必須ではなかったが、フランス語でも履修しておけば良かったと後悔した。
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