検定が出来るまでの30年 Vol.4
「お前の人事権は専務だ。ここには大卒はいらない、明日から来なくていい、帰れ。」これって、どんなスチュエーションで、誰が誰に言った言葉だと思いますか?
これは、大学卒業後、ホテルに就職し、研修が終わって配属された初日に、配属先の総料理長、後の総支配人に呼び出されて言われた第一声だった。正直、私はパニック状態だった。何が何だか分からなくなった。私は、言葉に詰まり、そのあまりにも衝撃的な言葉に声を発することもできなかった。
この一言から私の絶望と苦悩に満ちた、現場の勤務がスタートした。
私は、実は大学に入学する前にいろいろあって、2年間の浪人生活をしている。1年目は、故郷の北海道札幌、2年目は東京だが、誕生日が4月なので、大学卒業後就職してすぐに25歳になる。当時のホテルは、幹部候補として大卒は取ったが、現場スタッフは、ほとんど高卒か専門卒だ。このホテルでも新入社員は40名ほど採用したが、大卒は2名だけだった。
ドル箱といわれたこのホテルのアネックスには、私を含め合計7名の新入社員が配属されたが、私を除いては、全員高卒で、年齢でいえば18歳だ。当たり前だが私より6~7歳年下だ。
私のホテルに就職した理由が、「日本一のウエイター」になりたかったからだ。私の何がそうさせたかわからないが、呪文を唱えるようにいつも頭の中で「日本一のウエイターになる」と唱えていた。そのため、入社の時に配属希望を聞かれ、私はウエイターを極めたいので、レストランサービスか宴会サービスに配属してほしいと答えた。その結果、ある種念願かなって宴会サービスに配属されたわけだが、大変な後悔をした。面接のときに、人事担当者から「大卒の方は、皆さん宿泊部を希望されるのですが、谷藤君はどうしてサービスですか」と質問されたのを今でも鮮明に記憶している。
今では必ずしもそうではないが、当時のホテルの総支配人の殆どは宿泊出身者で、考えてみれば世界中ホテルといえば宿泊が中心で、日本のように宴会部門や料飲部門で成り立っているホテルは、世界中探しても日本くらいだろう。そうした理由から上昇志向の強い人は宿泊部を目指すのは当然だった。こんな状況なので、ホテルの中では、ホテルの顔はフロントだと偉そうに言う宿泊部とサービス部門がないと宿泊は成り立たないだろうという料飲宴会部はいつも対立関係にあった。そもそもホテルのセクショナリズムの原点は、こうしたところにあったのかもしれない。
とにもかくにも、配属1日目から非常にインパクトがあった。7人の新入社員のうち私だけが25歳、残りの6名は18歳。しかし、仕事の内容は同じ、というよりは私の仕事のほうがどう見てもランク下だ。私のその時の印象は、自分はホテルに就職したのか893の事務所に就職したのか錯覚するほどであった。サービスマンの先輩の中には、矢沢栄吉命みたいな人がいて、これが超長身、リーゼントで見た目も怖い。のちに比較的仲が良くなったが、実際に喧嘩が強い。ほとんどのやつが彼に上から見下ろされてガン飛ばされたら普通の人はひるんでしまうほどだ。実は、彼は職場では確実に先輩だったが、私と同い年であった。しかし、職場では先輩と後輩の厳しい縦の関係は決して崩れない。私も大学時代は84席あるレストランの店長のようなことをしていたが、この職場のグレード感は、もちろん比べ物にならなかった。むしろマイナスからのスタートだった。
配属された場所は、東京駅周辺でも当時は一番高い29階建てのビルの28階にあり、宴会・レストラン・バー・ラウンジとホテルの施設の要素を満たしていた。中でもレストランは、30年以上前の当時としては、恐らく日本一の高単価レストランだったと思うが、4名掛けのテーブルが21卓あり、ランチの時間帯で2回転し、フード単価が10,000円を超すのである。ほとんどコース料理で、この企業が倒産したら日本が崩壊するといわれた新日鐵を筆頭に、上場企業の接待で外国人も多く、昼間からアルコールがバンバン出た。今でも信じられないが、仕入れでせいぜい1万円程度だと思ったが、ロイヤルサルトがシングルで4,500円もした。税金・サービス料を含めると1杯5,000円以上する、たかがウィスキーだが、そんなものがどんどん出るのだ。まったくもってあなたの知らない世界であった。
現在でも、六本木のある外資系ホテルのラウンジでも、シャンパンを頼むと黙ってドンペリが出てきて一杯5,000円で、品のないサービスをしているようなところもあるのだが。
このようなところで新入社員がやる仕事といえば、レストランの入り口に直立不動で立ち、昼間は11:30から14:00まで、夜は、17:00から20:00くらいまで、2週間毎日「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」の挨拶、お辞儀の練習だ。
頭の下げ方が悪いと小突かれ、声が小さいと言っては蹴飛ばされる。こんなことを毎日2週間もさせられれば、否が応でも素晴らしく素敵な挨拶ができるようになるわけだ。
挨拶の練習が終わると、後片付けだ。レストランの洗い場に入って、食器・グラスの洗浄、拭き上げ、ディナーのテーブルセッティングだ。グラスなどは、拭き上げた後、先輩がチェックして指紋でもついていようものなら、烈火のごとく怒られる。「てめぇが客だったらよぉ、口をつけるグラスにてめぇの指紋がついていたら、どう思う。ここは一流レストランだぞ。この馬鹿野郎」という風に、とても一流レストランにあるまじき言葉遣いで罵倒される。
さすがにお客様の前ではこういう言動はないが、「裏来い」と言われると、憤りと緊張が同時に電気のように体中を走りぬける。
やっと後片付けから解放されたら、今度は社員用のトイレ掃除だ。自分より年下の連中よりも、なぜか私のほうが明らかに多い。そんなことで、抗議をしようものなら、胸倉つかまれて殴る蹴るの暴行になりかねないので従うしかない。とにかく配属されてからの半年間に発した言葉は、「はい」と「すいません」のほとんど2ワードであった。
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