連載記事2016年8-1 ウエディングの大切なこと
(結婚式の意味とは、披露宴の意味とは、ウエディングの本質に迫る)
それぞれの想い
結婚式を行う新郎新婦と我々その準備を行う側では、視点も違うし想いも違う。このギャップにウエディングの落とし穴がある。売る側と買う側のベクトルの方向や大きさが一緒であれば問題は起きない。
しかし、この部分を両者のどちらに求めても無理があることは明らかだ。少なくともウエディングという商品は、一般人の人生の中で最も高額出費の商品であり、それをビジネスとして担っている側が新郎新婦のベクトルに合わせるのが当然だと思う。
では、その担う側が、プロとしてウエディングの本質をどれだけ認識しているのだろうか?単純な質問で、「どうして、結婚式をするの?」「披露宴を行う本来の目的は?」と聞かれたらどう答えるのだろう。
挙式披露宴を行う理由など、本来新郎新婦に押し付けるものでもなく、挙式披露宴を行う人の勝手だと思うが、環境の変化で結婚ビジネスが迷走してしまったことは、ビジネスが縮小するにとどまらず、結婚という文化の変質、消失に繋がってしまっては、人として、社会として大きなものを失うことになってしまうのだ。
伝統や文化としての結婚式
そうならないように深く掘り下げ、その解決の糸口を見つけて行けたらと思うが、本来文化や伝統は、理屈なしに認めなくてはならないし、そこには確固たる深い意味や歴史があり、何の抵抗もなく納得させられてしまうのも文化や伝統である。結婚式も過去はそのようなものであったはずだ。
では、なぜ現在の結婚式は自然に受け入れられなくなってしまったのだろ。例えば、30年前だと結婚すると決まったら結納を行って、挙式披露宴を行うということは何の疑問もなく殆ど全ての人がそのプロセスをたどり、またそれが普通の常識であったはずだ。しかし、バブル崩壊以降従来の結婚式の考え方が揺らいだ最も顕著な現象があったが、それが媒酌人の激減である。2000年初頭から媒酌人を依頼する新郎新婦は減り始め、ゼクシィトレンド調査によると、最近では全国平均でも1.1%ほどしか媒酌人に依頼しないということだ。
媒酌人の存在意義
何故だろう?その答えは、媒酌人の存在意義を考えれば容易に答えは出る。私もあと数年で還暦を迎える年になってしまったが、私達が結婚する時代は、親が子供の末永い幸せを切に願い、親から媒酌人は将来有望な「偉い人になってもらいなさい」と言われた。私の実家は今も50年近く続く自営業を営んでいるが、自営業者は、媒酌人に自分の子供の将来を託すほどの思い入れがあり、媒酌人になった人も、新郎新婦から何十年にもわたり盆暮れの挨拶をなかば強制されるのであった。現代社会では、想像出来ないほどの考え方かもしれないが、現代も一部の社会ではこの考え方が脈々と生きている。
こうした現状が崩壊したのは、まさにバブル崩壊以降である。バブル崩壊によって、日本の終身雇用や年功序列といった考え方が一気に吹き飛び、媒酌人の存在も同時に激減していったのである。