私の運営する協会には、ブライダル関係の人から様々な問合せや相談が入る。先日も、九州の60歳の女性から、ウエディングプランナー資格を取りたいという連絡があった。
我々の会員には高年齢の方も多いのだが、60歳から始めるというのは意外だったので理由を聞いてみると、ウエディングプランナーになるためではないようだ。
その方は、ホテルの衣裳室に勤務しているという。今まで、我流で接客してきたが、単に自分が見聞きしたことだけで対応していることがお客様に申し訳ないような気がして、残り少ない時間ではあるが、衣裳スタッフとしてお客様を本当に満足させるためには自分がもっと学ばねばという気持ちから、ウエディングプランナーの勉強をしようと思ったそうだ。
これまでこの連載の中で何度か触れてきたように、近年、日本ではデフレ依存型ビジネスが蔓延し、企業は「心」というものを失ったかのように、使い捨て、詐欺まがい、利益至上主義の商売を続けてきた20年間であったが、そんな中にも、こんなふうに、損得ではなく、お客様の満足のために最大限の努力をしようとする人がいることを目の当たりにすると、自分たちも何としてでも協力したいという気持ちになる。
高年齢といえば、少し前に、アメリカのマクドナルドの名物店員が話題になっていたが、何と100歳にして社員だというのだ。本当によぼよぼのおじいちゃんだったが、お客はそのおじちゃんを気遣い、作業が遅くてお客の口に入るまでに随分時間を要しているのも、まるでそれが嬉しいかのように見守る微笑ましい光景を見た時、その心の余裕というか、人間としてのゆとりや奥深ささえ感じた。
もう30年以上前の話になるが、私がロサンゼルスでホームステイをしていた時、ホストファミリーから、アメリカは車社会で、電車を使うことはめったにないという話を聞いた。というのも、時間が不確かすぎるからだそうで、長距離電車などは3時間や4時間遅れるのは別に珍しいことではないということを常識であるかのように言っていたが、まさに国民性の違いだと思った。電車が遅れるくらいでストレスをためたりしないのだ。マクドナルドの100歳の店員の対応も、まさにこのような国民性の上に成り立っているのかも知れない。
そのようなゆとりを持って高齢者を受け入れた時には、そこに、現代のスピード勝負の社会で疲弊した若い世代には無い、先達の価値を再認識することができるのではなかろうか。
超高齢化していく日本の経済が、本当に今後も維持出来て行けるのか不安にならない人はいないと思う。実際、あるファストフードチェーン店は、人が集まらず深夜営業を断念せざるを得ない状況にもなっており、今後の日本企業の選択肢として、高齢者の再雇用も十分に視野に入れて行かなければ、企業継続が不可能になっていく時代になるかもしれない。
この世界に類を見ない日本のパラダイムシフトが始動してしまった以上、その対策は必至であり、定年の考え方や、その人の技量にあった職場の提供などを考えなければ、社会の存続が出来ない状況になってきたのではないか。
以前にも述べたように、日本では、1947年から3年間で生まれた、団塊世代といわれる800万人のたちがこの3年間で定年退職を迎え、労働市場から姿を消した。このままの状態で労働人口が減り続けると、当然、人手不足になり、結果、高齢者雇用か外国人雇用のどちらかを迫られることになるであろう。
ブライダル業界でも、あるカテゴリーでは特に、「プランナーは格好いい若い人の仕事」とか「若くなくては体力的にきつい仕事」という認識のようだが、早い段階で雇用対策や人材確保を見直してみるのが賢明であろう。
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