連載記事42 無駄の素晴らしさとは

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前回、「遊び」という日本の素晴らしい言葉について記したが、今回は「無駄」について考えてみようと思う。
「無駄」というのは、善し悪しで言うなら、どちらに分類されるのだろうか。
現代の若者は、無駄を嫌う傾向にあるように思う。
webの世界が自分を取り巻き、得たい情報は、瞬時に取得できる。この環境こそが、無駄を悪いものへと導いているような気がする。
我々が若者の頃は、覚えておかなきゃと思うことは、その場で記録するか、反復して記憶に定着させようと努力した。しかし、現代社会では覚える時間を使って記憶に定着させる必要がない。

なぜなら、疑問に思ったことは、スマホで調べれば、殆どのことがその場で解決するからだ。情報の信憑性は別として、得たい情報を瞬時に得ることができる。だから、時間をかけて記憶することはなく、その時間は無駄な時間と認識されてしまう。

しかし、実は、無駄は、新たな知識やニーズなどを生み出すプロセスでもある。
「必要は発明の母」などというが、実は、無駄も発明の母と言えるかも知れない。本来無駄は心地よいものであり、人間の感情の余裕の源でもある。

サービス業は、この無駄が非常に重要であり、人の気持ちを癒すのもこの無駄にほかならない。だから、この無駄を「悪」と捉えた瞬間から、サービス業の本質が覆されてしまうのである。

しかし、現代のブライダル業界の現状をみるとどうだろう。利益追求を唯一の目的とした会場は、この類の無駄をすべて排除しているように思う。その結果、スタッフに心の余裕がなくなり、顧客に対して画一的な柔軟性のない対応になってしまっている。

ホテルにおいては、そもそも、いかに無駄を「贅沢」として売るかが魅力であったように思うが、いつの頃からか、その考え方に少し変化が出てきたようだ。
特にブライダルでは、バブルの頃は、とにかくホテルのロビーや宴会場は、天井が高く、「無駄な空間」こそが贅沢感を醸し出し、その非日常性を求めてお客様がホテルに集まってきた。
しかし、本来一生に一度の非日常的なものであるブライダルが、ある時期から、ビジュアル雑誌等の誘導もあり、「アットホーム」と言われるキーワードが支配するようになると、天井が高い大空間の宴会場は、人気を失い、現状のトレンドは真逆なものに変化している。

これは、バブル崩壊を通して、そこで思春期を迎えた世代の堅実性や現実主義的な感覚が無駄を否定し、スケールの小さなものへと興味が移ってしまったことを示してもいるが、サービス業の性質が利益追求という1ワードに集中し、やがて上場や寡占というトレンドに変化し、その中で育まれた人の性質そのものが、無駄という概念を否定されてきた経緯もあり、無駄というものの素晴らしさを理解できなくなった現実もある。

日本一有名なアミューズメントパークの対応はいつも笑顔で素晴らしいとされている。一つの企業スタイルとしてのノウハウの徹底は、本当に素晴しいと思うが、無駄の全くない、作り込まれた「サービスの演出」に違和感を感じるのは私だけだろうか。
喜怒哀楽を感じられないピエロ人形のような笑顔をしている人も多く見かけるが、人は常に笑顔でいられるものではない。普通の顔から、感情の発露によって表情が変化し、笑顔になるのである。その変化を無駄として取り払い、最初から作っておいた笑顔を提供することが、本当のサービスといえるであろうか。

これらの現状は、「おもてなし」という言葉がトレンドとなっている現在の時流に対し、サービス業のありかたとして真逆の方向に進んでいるのではないだろうか。

サービス業にとっての無駄の存在を、今一度考え直すべきだと思う。

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