ブライダルビジネスがなぜ縮小しているかということについては、今まで何度となく述べてきた。ブライダルビジネスが、年々縮小傾向にあることは、まぎれもない事実であるが、これをこのまま見過ごすことは、将来自分達が飯を食えなくなることを意味している。飯を食うためにはどうしたら良いかを真剣に考えなくてはならない時期だと思う。
「婚姻件数の半分しか挙式・披露宴を行わない」という事実は、新郎新婦の結婚式に対する評価の結果を表している。つまり、現状からすると、半分の新郎新婦が、挙式・披露宴を不要と判断しているということになる。自分たちの一生涯にとって、「挙式・披露宴」は、魅力的なものではなく、プライオリティが低いということなのである。
10年ひと昔というが、ふた昔前までは、挙式・披露宴を行うことは、ごく当たり前の事であった。ところが、今や挙式・披露宴を行わないことは、ごく普通の選択肢であり、ごく簡単に、あるいはなんとなく程度の軽い気持ちで行わないことを決める。
だが、本来、結婚式は、社会の中で生きる人間にとって、「私」だけのことではなく、「公」という性質をもつものであり、社会的には行わなければならないものである。また、通過儀礼としての意味合いからも、挙式・披露宴は重要なのである。
しかし、今、ウェディングプランナーたちは、挙式や披露宴の意味やその重要性を、きちんと新郎新婦に伝えられているだろうか。実は、ここに一番大きな問題があるように思える。
私が駆け出しの頃、ウェディングプランナーは、殆どが男性で、新郎新婦の両親から、新郎新婦が社会人としての常識を逸脱するようなことがあったら、ホテルマンがきちんと指導するようによく言われたものだ。また、担当プランナーを若い女性にしようものなら、大切かつ高額なものを社会経験の少ない人には任せられないと、両親から苦情が来る時代だった。
その頃は、結婚式と言えば、ホテルか専門式場が多かったが、少なくともホテルのウェディングプランナーは、必要な冠婚葬祭の知識を持ち、プロフェッショナルとして、お客様から絶大な信用を得ていたのは事実である。当時の婚礼は、しきたりや習慣に沿って行うもので、現代のあれもこれもありということはなかった。また、儀礼として守るべきものは厳然として存在しており、それはむやみに否定してよいことではなかった。
ここで、婚礼の伝統を守ることは、ただ文化的に大切なだけでなく、実は「ビジネスの確保」という観点からも重要であることを、我々は今一度認識しなければならない。何でもありのお遊びにしてしまうと、一時的な流行はあっても、所詮先細りのビジネスにしかならないのである。
ブライダルビジネスにとって古き良き時代、婚礼は、両家の行事であり、費用の両親の負担も今より高く、婚礼に関する決定権は、両親が持っていた。しかし、その後、決定権は、団塊世代ジュニアが結婚式を挙げる頃から、両親から新郎新婦に移り、婚礼のビジュアル化の影響もあって、近年は新婦に決定権があった。しかし、最近の傾向を見ると、新郎の発言力が増しつつあるように見える。
決定権を新婦が持っていた時代、投資案件としての婚礼ビジネスによる、女性の好むイメージ偏重と、収益優先という企業都合から、ウェディングプランナーの低年齢化が進み、同時に婚礼の本質は置き去りにされてしまった。その結果が、現在のブライダルビジネスの縮小なのである。
今、発言力を増している新郎に、どうやって結婚式の本質的な意味を理解させ、「結婚式はしなければならない」ともう一度思わせることができるのか、それこそが、我々業界の生死を分ける鍵のひとつであろう。
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