今改めて分かった母の思い

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デスクに向かい、痛い左目を抑えながら、パソコンに向かっていた時、妙に耳の中がかゆい感じがしたので、デスクの引き出しの耳かきを取ろうと思い、勢いよく引き出しを開けたら、ごそごそと引出の奥の何かが、下の引き出しに落ちたようだった。下の引き出しを開けてみると、かすかに見覚えのあるぽち袋位の小さな封筒と「母恋」という私が3歳から9歳まで住んでいた北海道室蘭市の駅の切符が入っていた。母が亡くなって片見もあまりなかったが、私が母に宛てた何通かの手紙の束だけ持ってきた。

その中の小さな封筒は、私が母の日に母に送った花に託したメッセージだった。封筒の中身を取り出してみると、明らかに私の字で「母さんへ、母の日おめでとう!」と書いてあり、その裏に「思いやりのある優しい進、本当にありがとう。幸せになってくださいね。祈ってます。」と書いてあった。私に宛てた母の思いであったと思うが、自分の気持ちを綴っただけであり、私に伝えようと思ったわけではないことが分かった。

さらに、その小さな封筒の裏には、「守っています。いつまでも明るく楽しい人生にして幸せになることを祈ります。進、ありがとう。」と記してあった。私の母は、口で言うのではなく、心で伝えようとする母で、口に出して伝えることは、母の美学に反するのだったと思う。本当の気持ちだから、素直に相手に口で伝えるのは照れ臭い。だから、死んでからでないと伝わらない方法だけど、あえて母はその方法で、私に思いを伝えたのだと思う。

そんな母の気持ちが、手に取るようにわかるから、そのメモを見て、私は、男ながらに涙が止まらなかった。

母は、「ありがとう」ということを、私に伝えたくて、意図的に引出の後ろにそのメモを落としたのだと思う。

母さん、こんなにもたくさんの愛情で包んで育ててくれてありがとう。俺は、本当に感謝してるし、どんな時も俺の見方でいてくれた母は、俺にとってかけがえのない人だった。ビジネスでは、多分大成功は出来ないと思うが、それも、人を信用する大切さ、他人を大事に思う大切さを母さんから学び、自分の信条としているから、人を踏み台にしてまで成功したいとも思わないし、小さな成功があれば自分には十分だと思っている。

今も、母の面影を追いかけている自分を見ることがあるが、そこに出てくる母は、笑顔の母しかいない。悲惨な生活の時期もあったが、母は何時も笑顔だった。そんな母を思うと、母に対して果たしえなかった約束を思い出すにつけ、直接、一度でいいから「ごめん」と言いたい。そのことを考えるたびに、心臓をえぐられるような思いにさいなまれてしまう。

母は、昨年の12月に他界したが、私が最後にお見舞いに行った10月のとき、病院から帰るとき、本当に後ろ髪をひかれる思いだったのを思い出す。母は、お前も疲れてるから、もう帰りなとかすかな声でいうので、涙をこらえて病室を後にしたが、帰りかけては2度引き換えし、また来るからねと病室に戻り手を振ったが、恐らく母は、最期の力を振り絞って手を振り笑顔を見せたが、短く刈られた髪の毛と痩せ細った顔は、おしゃれな母の笑顔とはかけ離れたものだったと思うが、今、私の脳裏に残っている母の笑顔は、元気なころの美人の母そのものだ。

一度でいいから、母に会って、「こちらこそありがとう」といいたい。

 

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